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2008年4月 2日 (水)

2005年1月7日

2005年1月7

昨年28日忘年会が終わり、その翌日この次期にしては珍しい雪が降りました。いったん下の子供達の荷物を実家から自宅に運び、雪のなか妻と付き添いの交代をしました。それから明けた5日まで、妻に代わって私が、ユウと共に過ごしました。

ずっと一緒にいるとユウの髪の毛も見慣れてしまうのか気にならなくなっています。

ユウもまた生えてくるからと、別に気にもかける様子もなく過ごしています。
時々先生や看護婦さんが来ると、機嫌が悪くなり私に当り散らしたりしていましたが、長い病院生活と注射や薬などのストレスで仕方ないようです。

私は折り紙の箱をおぼえて、ひたすら箱を何個も作っていましたが、そのうち私が書いた漫画に色を付けるのが、楽しいのかユウはそれに夢中になっていました。

元旦実家のしきたりで法事があるので、妻と交代して午前中実家に帰りましたが、
少し風邪をひいている妻が側にいたのでは、ユウにうつしてしまう可能性が高いため、あわててまた交代とせわしない正月でした。

思い返すと昨年の正月も今は亡き父の病院に皆で押しかけたりして、2年連続元旦から病院です。その夜、祐奈は私の書いた漫画に色を塗るのに夢中になって、その疲れのせいか、妻の風邪がうつったせいか、解かりませんが、その夜38度以上の熱をだしてしまい、何度も夢をみてはしくしく泣いていました。

夢の内容を静かに聞くと、ユウは一人ぼっちで寂しい所にいて、寂しくて泣いていたようです。

私はそれを聞いてたまらない気持ちになってしまい、ユウをだきしめながら、そんな所に祐ちゃんは行かないからね、パパが側にいるでしょ、と何度もかたりかけました。

なかなか落ち着かないのか、眠りについても、私が離れるとすぐに目をさまして
しまい、何度も何度も泣きじゃくっていましたが、やっと眠りについても、しばらくすると、また同じ夢をみてしまうようで、本当に悲しそうにしくしく、泣いていました。

私のベッドをユウのベッドの横に付けて、手をつないであげたら少し安心して眠りにつきましたが、また朝方も同じ夢の繰り返しで泣いてしまい。私もたまらない気持ちになって、ユウをだきしめて涙してしまいました。何でこんな初夢を、そう思うと少し自分自身も妻も油断していたのに気がつき、しっかり心正してユウを守らなければと、心から反省しました。

ごめんね、ユウちゃん、パパとママは側にちゃんといるからね、何度も何度もユウに語りかけ神様にユウのことを守ってくださいと、祈り続けました。

看護婦さんも夜、熱を測りにきてくださっていたようで、朝方の熱の上がり具合から採血と点滴を付ける事になってしまい、処置室でユウ号泣、その後抗生剤を点滴から入れてもらったせいか、熱も少し下がって、少し落ち着いたようでした。

これから先、ユウは大変な治療を受けるのに、父としてかなり油断していたような気がしました。

今年新年からはじめている二回目の因縁への懺悔も、その日深くさせていただきました。

私が付き添いをしていたときの入院中の日課は、夜、ユウが寝る前のおしっこをした後、パパのだっこをしばらくして、その後、ベッドに入ったユウを静かにお授け(お祈り)させていただき、1日の感謝を神様と先祖様にして眠ることでした。

今朝、神前で因縁への懺悔の7日目を終えたあと、なんだかまたしても、油断していた自分に気がつきました。少しでも時間があれば、ユウの元に行き祈ってあげたり、さすったりしてあげなければいけないのに、会社でごそごそとネットの整理なんかしたりして、深く反省しました。

今日、午後から久しぶりにユウが、仮退院します、ユウにとって久々の外です
とりあえずは一ヶ月、最初の治療を無事終えれた事に深く感謝したいと思います。
まだまだ長い道のりですが、心しっかり、油断する事無く頑張っていかねば、、、
深く反省です。

続き
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